創価学会の思い出
統一教会問題が世間を騒がせている今、蘇る記憶がある。
離婚して家を出て行った母親は創価学会の信者でした。
僕自身、小学校の低学年の頃は母親の意向で創価学会の集まりに参加したこともある。
土日なんかに創価学会の信者の子供を中心にして集まりがあったんだ。
近所に大きな団地があって、そこの一室に集まった。
そんなに広い部屋じゃないんだけど、そこに近所の信者の子供たちが沢山集まるんだよw
そして聖教新聞の切り抜きの読み合わせをしていた。
多分あの時あの部屋にいた子供たち全員にとって、そんな読み合せは退屈でしかなかった。
メインイベントはその後なんだ。
スイカ割りをしたり、みんなで公園に集まってゲームをしたり、お菓子をもらったりなんかもした。天気のいい日和で、みんな笑顔にあふれながら。
その時一緒に遊んだお兄さんたちは優しかったし、本当に楽しいひと時だったんだ。
宗教的なことなんてよくわからなくて、普通に無邪気な子供たちの集まりだった。
そういうイベントはしょっちゅう行われていたのか、時々だったのかはわからない。
僕と妹はそういうイベントに毎回参加できるような身ではなかったんだ。
なぜなら父親が非学会員で、創価学会大嫌いな人だったからだ。
そのことで母親と父親が喧嘩したこともある(何かにつけて喧嘩する夫婦であった)。
小学校の時は創価学会に嫌悪感なんてかった。当時の小学校のクラスには同じように学会員の子供がいて、その子たちとは一体感のようなものもあったし。
だけど高校生くらいになるとネットの普及もあって、だんだんと創価学会が世間では嫌われているってこともわかってくるようになった。
そして「母親が創価学会員だったから、僕自身そういう集まりに参加していたことがあある」なんてとても言えないことなんだと思うようになっていた。
その頃には両親は既に離婚していて、父親に引き取られていた僕にとって創価学会なんてどうでもいいような存在ではあったのだけれど。
もしも両親が離婚したときに母親に引き取られていたら、僕はそのまま創価学会の信者となって人生を歩んでいたのかもしれない。
そういう面では父親に引き取られたっていうのは良かったことかなって今では思う。
大人になって自分でちゃんと考えて入信するならともかく、子供の頃から親の一方的な影響でそのまま信者になってしまうなんて、なんだか不健全に思える。少なくとも僕にとってはね。
二世、三世の信者の方々を否定するつもりはありません。あくまでも僕にとってはとういうことです。